2017年の振り返りと来年への希望

本日は出かけいただきありがとうございます。
今年も残り少なくなりました。
今日は少しばかりお時間をいただき一年の振り返りと来年への希望を整理していただく為に気持ちを穏やかにしていただける時間となることと思います。
さて、最初にこのお寺は曹洞宗の禅寺です。
曹洞禅寺では、最初に摩訶般若波羅密多心経をお読みします。
それで一緒に声を出してお願いします。
読経とは字の如し、一字一字読んでみてください。自分なりに何かをかんじていただければそれでよろしいと思います。
目線の高さに経本を持っていただき真っ直ぐに声を出してください。
ありがとうございました。
さて曹洞宗だけのお経があります。
それが修証義です。これは道元禅師が説かれている教えを明治時代にお坊さんが集まってエキスを集約したものです。
第1章 総序
第2章 懺悔滅罪
第3章 授戒入位
第4章 発願利生
第5章 行持報恩
という構成です。
道元禅師の佛教感がちりばめられてます。細かい説明はいたしませんが、今やネットという何をするにも欠かせないアイテムがありますので、詳しくお知りになりたいかたはそれをご覧ください。
仮名ふり文ですので、理解しやすいと思います。
さて、第2章では懺悔滅罪を説いています。懺悔ざんげとは読まずさんげといいます。文字通り行いを懺悔することが書かれています。
2章から3章には曹洞宗で行なう仏戒を授ける儀式が書かれています。
仏戒をいただくのにまずは懺悔しなさい。ということです。
2章の最後に
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔
とあります。
「私はこれまでに為してきた悪しき行いによって多くの悪業を積み重ねてしまった。それは意識と無意識とに関わらず、貪欲に何かを求めたり、我を忘れるほどに怒ったり、正しいことを考えなかった事が原因となって、行いと言葉と意識とで生み出してしまったものである。今、そのすべてをここに懺悔する。」
おおよそ、偈文の意味はこのようなものです。
仏の前に身を正し、心に懺悔の念を深く起こし、声を出して「懺悔文」を唱えたなら、仏は必ず我々を見守ってくださる。罪の事実は消えなくても、身と心は浄らかなものになる。罪の根っこを溶かしてこれ以上いらぬ罪の芽が生えないようになるのであります。
さてここにいう悪業とは人間だれしもある貪瞋痴です。
貪とは,
貪欲(とんよく)。むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現。
瞋とは 瞋恚(しんに)。怒りの心。「いかり」・「にくい」と表現
痴とは 愚癡(ぐち)。真理に対する無知の心。「おろか」と表現する。
さて怒りや悲しみなどの感情は目にみえるものではありませんが、アメリカのエルマゲイツ博士がそれぞれ人間の吐く息を集めて液化してみるという実験をしたところ感情によって色の違いが有る事がわかったそうです。
ちなみに怒りの色は何だと思われますか?
答えは栗色です。
そしてその怒りの息から注出した液体をネズミに注射をしてみたところなんと3分もたたないうちに死んでしまったそうです。
さらに博士は一人の人間を発狂寸前まで怒らせてその呼気を集めてみたところ何と人間80人分殺傷能力がある物質が含まれている事がわかったといいます。
よくこんな実験を思いついたと思いますがそれにしても人間の怒りのパワーは凄いんだと実感します。
さてさて、そんな猛毒になる様な怒りでなくても我々はよく怒り、よく妬み、よく愚痴ってますよね。お心当たりは?????
こんな話があります。
あるお坊さんにお祖母さんが聞いたそうです。そのお祖母さんは近所でも評判の嫁いびりだそうですが、さすがにご本人もいけないと思ったらしく、どうしたらもっと優しい舅になれるかと尋ねました。
そのお坊さんの答えは朝な夕なに
「おんにこにこ、はらたつまいぞそわか」と偈文を唱えなさい。
といわれました。そのお祖母さんは教えを守り毎日
「おんにこにこはらたつまいぞそわか」とお唱えしたそうです。
そして徐々にお嫁さんと上手くいくようになったとのことです。
六波羅蜜には布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧
我々ができる6つの修行です。
六波羅蜜とは、
この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。
布施とは
見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。
持戒とは
道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。
忍辱とは
如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。
精進とは
不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。
禅定とは
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。
智慧とは
我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、此の岸から彼に岸へ向かいます・・・。
そこで、布施の中にあるものとは
- 財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。
- 法施とは、仏の教えを説くこと。
- 無畏施とは、災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。
その他に、雑宝蔵経に説かれる財物を損なわない七つの布施として、次の行いが説かれています。
布施波羅蜜では「無財の七施」といい。
- 眼施:好ましい眼差しで見る。
- 和顔施(和顏悦色施):笑顔を見せること。
- 言辞施:粗暴でない、柔らかい言葉遣いをすること。
- 身施:立って迎えて礼拝する。身体奉仕。
- 心施:和と善の心で、深い供養を行うこと。相手に共振できる柔らかな心。
- 床座施:座る場所を譲ること
- 房舍施:家屋の中で自由に、行・来・座・臥を得させること。宿を提供すること。
これらは普段の毎日の生活の中で簡単に誰でもできる布施行です。
乱暴な言葉を使わない。
優しく笑顔でいる。
優しい眼差しで接する。
簡単なようでとても難しいかもしれません。でも今すぐできます。
さあ、今日はヨガにて身体と心をリフレッシュしていただく時間になります。
これから門田先生により、ヨガを始めていただきます。
皆様優しい気持ちになってお帰りください。